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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)5135号 判決 1961年10月24日

判  決

東京都品川区北品川三丁目二四四番地

原告

三田用水普通水利組合

右代表者代表清算人

鏑木忠正

右訴訟代理人弁護士

松原正交

高橋真三次

林田新八

同都千代田区霞ケ関一丁目一番地

被告

右代表者法務大臣

植木庚子郎

右指定代理人法務省訟務局第二課長

星智孝

右訴訟代理人弁護士

坂野千里

同都千代田区丸ノ内三丁目一番地

被告

東京都

右代表者東京都知事

東龍太郎

右指定代理人東京都事務吏員

三谷清

船橋俊通

右当事者間の昭和二七年(ワ)第五一三五号土地所有権確認請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

一、被告国との間で、原告が別紙第一目録の土地を所有することを確認する。

二、原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用は原告と被告東京都との間ではすべて原告の負担とし、原告と被告国との間では、原告について生じた費用を三分し、その一を被告を被告国の負担とし、その余の費用は各自の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告の求める裁判

(第一次の請求)

(1) 被告東京都との間で、原告が別紙第二目録の水利権を有することを確認する。

(2)、被告東京都は原告に属する別紙第一目録の土地の所有権および別紙第二目録の水利権を侵害してはならない。

(3)、被告国との間で、(イ)原告が別紙第二目録の水利権を有すること、(ロ)原告が別紙第一目録の土地を所有することをそれぞれ確認する。

(前項(ロ)の所有権確認請求が認容されない場合の予備的請求)

(4)、被告国との間で、原告が別紙第二目録の水利権を行使するため別紙第一目録の土地を無償で使用することができる用水地彼権を有することを確認する。

(第三項(ロ)、第四項の請求がすべて認容されない場合の予備的請求

(5)、被告国は原告に対し金一〇、〇〇〇、〇〇〇円を支払うべし。

(6)、訴訟費用は被告らの負担とする。

(7)、この判決は第五項に限り仮りに執行することができる。

二、被告らの求める裁判

(1)、本案前の裁判

原告と被告らとの間の水利権確認の訴をいずれも却下する。

(2)、本案の裁判

原告の請求をいずれも棄却する。

第二、原告の請求原因

一、第一次の請求

(原告の沿革と同一性)

(一) 享保九年(西暦一七二四年)田畑のかんがいを目的とし、当時の上目黒村、同村上知、中目黒村、下目黒村、中渋谷村、下渋谷村、白金村、今里村、三田村、代田村、上大崎村、下大崎村、谷山村および北品川宿の一四カ村を構成区域、その農耕地主を構成員として水利組合が設立された。その後、右組合は明治二三年法律第四六号水利組合条例の施行によつて、同条例にもとづく普通水利組合として成立して公法人となり、さらに、明治四一年法律第五〇号水利組合法の施行によつて、同法にもとづき東京都世田谷区、渋谷区、目黒区および品川区を区域とする普通水利組合とみなされた。すなわち今日の原告である。右のように、原告は途中で法人格を取得したが、享保九年以来組合の目的、構成区域、構成員等の実体関係に変更がなく、同一性を保つてきた。その後、原告は昭和二四年六月六日法律第一九六号土地改良法施行法の施行によつて昭和二七年八月三日解散し、現在清算中である。

(水積二一坪を除く本件水利権および本件土地所有権の譲受け)

(二) 徳川幕府は寛文四年(西暦一六六四年)別紙第一目録の土地(以下本件土地という)を、幕府の築造した白金御殿に専用する雑用水を供給するための上水路用地として農民から強制収用し、その地域の住民に労力を提供させて本件水路を掘さくし、玉川上水から引水した。

(三) 本件用水は享保七年白金御殿の焼失によつて不要となり、通水を止め、廃止された。それまで本件用水の余水の下付を受けかんがい用に使用してきた沿岸住民は、このために困り、徳川幕府に請願した結果、徳川幕府ないし徳川家は右請願を容れ、享保九年、原告(前身である水利組合)に対し、別紙第二目録の水利権(以下本件水利権という)のうち水積二一坪を除く水利権および本件土地の所有権を無償で譲り渡し、本件土地の年貢を免除した。

したがつて、原告は右水利権と土地所有権とを取得し、現在に至るまで継続して本件用水および本件土地を支配してきた。

(右水利権の主体、内容、性質)

(四) 右水利権は徳川幕府ないし徳川から譲受けにより、権利の主体としての原告(前身である水利組合)に帰属し、原告の組合員およびその小作人らは互に入会つて水利権を行使してきた。これら組合員の権利の行使は民法第二六三条の共有の性質を有する入会権に相当するものであつた。その後原告(前身である水利組合)は前記のとおと水利組合条例によつて法人格を与えられ、同条例附則第五七条(旧団体所属の財産はこの条例にもとづき設置された水利組合に引きつぐ趣旨の規定)にもとづき、それ以来右水利権を単独に享有し、現在に至つた。

右水利権は田畑のかんがいのため使用するほか、原告が必要とするとき何時でも同一水量を超えない限り雑用、工業用にも使用することができることを内容とするものであり、本件用水かかんがいの用に供せられる限りでは公共の用に供する公物としての性質を有するものである。この水利権のうち、かんがい用の水利権は公法上の権利であるが、雑用、工業用の水利権は私法上の権利である。

(本件土地の譲渡制限の解除)

(五) 徳川時代には、徳川幕府は、私人の土地の兼併を防止し農民の離作を禁止するために、ある種の土地の譲渡を禁止するという制限をしていた。仮りに、本件土地もこの制限を受け、徳川時代には原告が前記譲受けによつて本件土地の完全な所有権を取得することができなかつたとしても、明治五年太政官布告第五〇号により右の制限は解除されたので、原告は本件土地につき完全な所有権を取得した。

(本件水利権のうち水積二一坪についての譲受け)

(六) 前記譲受けのほか本件用水のうち水積二一坪については、原告は明治二四年五月八日水積六坪の水利権を有していた岩崎小弥太からその水利権を、明治三〇年七月一〇日水積六坪の水利権を有していた毛利元徳からその水利権を、大正一四年六月二〇日水積九坪の水利権を有していた北白川宮家からその水利権をそれぞれ譲り受け、合計水積二一坪の、前記四と同一内容性質の水利権を取得した。

このようにして原告は前記三の水利権と合わせ別紙第二目録の水利権全部を有するに至つた。

(原告が取得した前記諸権利の行使状況)

(七) 原告は徳川時代には本件用水の大部分をかんがい用に使用し、これに附随して極くまれに水車用、酒造用、染色用その他の工業用にも使用してきた。そして明治、大正と時代が移るにしたがつて、原告組合の地域内の田畑が減少した結果かんがいの用途も次第に減少し、他面雑用、工業用としての使用が増加した。昭和初期になるとかんがいの用途は全くなくなり、原告はもつぱら本件用水を雑用(養魚、庭園、プール、浴場等)、工業用(和洋酒醸造、洗場、水車、染色、漉紙等)としてのみ第三者に使用させるようになつた。このように時代の経過に伴い、本件用水の使用目的は変つてきたが、原告は享保九年以来本件用水および本件土地を支配管理してきて、長年にわたり玉川上水の所有者である被告東京都に対し水利権者として玉川上水分水料を納入して本件用水を引水し、私法上の契約によつて日本麦酒株式会社、その他の第三者に、使用料を徴収して、本件用水の一部を雑用、工業用に使用させ、世人から本件水利権者および本件土地所有権者として認められてきた。

(八) 徳川幕府が支配管理してきた神田上水および玉川上水は慶応四年六月一〇日市政裁判所(当時の国有財産管理庁)へ移管されたが、本件用水については何ら右のような移管の処置をとられた形跡はなく、原告は本件用水と本件土地とを支配管理し、本件水利権者、本件土地所有権者として水利事業を行つてきた。

以上(七)、(八)に記載したことからみても、本件水利権および本件土地所有権が原告に帰属することは明らかである。

(慣行による本件水利権の取得)

(九) 仮りに、本件水利権につき前記の取得原因事実が認められないとしても、原告は次のとおり本件水利権を取得した。

少くとも、わが国関東地区には水利組合が雑用、工業用の水利権を取得する多年の慣行がある。このことは、千川普通水利組合が、玉川上水から引水し、東京都北多摩郡保谷村から北区滝野川に至る水路を管理し、この用水を王子製紙株式会社、印刷局王子工場等へ雑用、工業用として供与していることからも判る。

したがつて、原告は右慣行によつて本件水利権を取得した。

(本件水利権および本件土地所有権の時効による取得)

(一〇) 仮りに、以上の取得原因事実が認められないとしても、原告は本件水利権および本件土地の所有権を次のとおり時効によつて取得した。

(1) 原告は享保九年以来本件用水を主として田畑のかんがい用に使用し、本件土地を支配管理してきたのであるが、前記のとおり田畑の消滅(宅地化)によつて昭和初期、おそくとも昭和二年一月一日以降は本件用水は全くかんがいの用途を失い、もつぱら雑用、工業用にのみ使用されるに至つた。

本件用水および本件土地はかんがいの用に供せられる限り公共の用に供する物として公物の性質をもつものであつたが、かんがいの用途が完全に消失したことにより公物としての性質を失つた。公物の廃止が公共目的の完全な消滅による場合には、特に行政行為によつてこれを外部に宣言する必要はないものと解すべきである。

(2) 原告は、本件用水土地が公物としての性質を失つた昭和二年一月一日以降も、本件土地、水利施設の維持管理に関し東京府ないし東京都から経費の援助を受けたことなく、すべて自己の意思にもとづき自己の費用で右の維持管理を行い、本件土地、水利施設を完全に自主的に占有支配してきたのであり、監督官庁である東京府自身も、この事実と、前記のとおり原告が本件水利権の行使として使用料を得て本件用水の一部を第三者に供与している事実とを知りながら、何ら異議を述べることなく認めてきている。

このように、原告は昭和二年一月一日以降も本件土地を所有の意思をもつて善意、無過失かつ平穏、公然に占有し続け、また本件水利権を自己のためにする意思をもつて、善意、無過失かつ平穏、公然に行使し、私法上の契約により日本麦酒株式会社、その他の第三者に、使用料を得て、本件用水の一部を雑用、工業用に使用させてきた。

したがつて、原告は、昭和二年一月一日から一〇年を経過した昭和一一年一二月三一日の満了により、本件水利権および本件土地の所有権を時効取得した。

(本件水利権および本件土地所有権を妨害する危険)

(一一) 以上のとおり、原告は本件水利権および本件土地所有権を有するのであるが、被告らはいずれもこれを否認しており、殊に被告東京都は、昭和二七年三、四月頃、原告の解散により昭和二七年八月四日以後本件水利権および本件土地の所有権は被告国に移転する旨の通牒を、原告の地域内の各区役所土木課に対して発し、原告に帰属する本件水利権および本件土地の所有権を妨害しようとする態度にでている。

(結論)

(一二) によつて、(1)原告は、被告東京都との間で、原告が本件水利権を有することの確認と、水利権および所有権にもとづく妨害予防請求として、被告東京都が原告に属する本件水利権および本件土地の所有権を侵害しないことを求め、(2)原告は、被告国との間で、原告が本件水利権を有し、本件土地を所有することの各確認を求める。

二、第二次の予備的請求

(一三) 仮りに、原告の被告国に対する本件土地所有権確認請求が理由ないとすれば、原告は、被告国との間で、次の(1)ないし(3)のとおり、本件土地に対する用水地役権の確認を求める。

(用水地役権の譲受け)

(1) 仮りに、原告が享保九年徳川幕府ないし徳川家から本件土地の所有権を譲り受けたことがないとしても、前記のとおり享保九年本件水利権を譲り受けた際に、その権利行使に必要で欠くことのできない本件土地、水利施設の無償使用権をも合わせて譲り受けたのである。この権利は民法の用水地役権に該当する。

(右権利の時効による取得)

(2) 仮りに、右の主張が認められないとしても、本件土地の使用は本件水利権と一体不可分の関係にあり、享保九年以来原告は右水利権を行使するため本件土地を無償で使用してきた。そして前記のとおり、本件土地が公物の性質を失つた昭和二年一月一日以降も、原告は本件土地を善意、無過失かつ平穏、公然に無償で使用してきたのであるから、昭和二年一月一日から一〇年を経過した昭和一一年一二月三一日の満了により本件土地を無償で使用することができる用水地役権を時効で取得した。

(結論)

(3) よつて、原告は被告国との間で、原告が本件水利権を行使するため本件土地を無償で使用する用水地役権を有することの確認を求める。

三、第三次の予備的請求

(一四) 仮りに、原告の被告国に対する前記土地所有権確認、用水地役権確認の各請求が理由ないとすれば、原告は、次の(1)ないし(3)のとおり、被告国に対し不当利得金の返還を求める。

(附合前の本件施設の所有関係)

(1) 日本麦酒株式会社は原告から水積五三八三一坪の本件用水の供与を受けていて、昭和四年頃原告に対し、右用水使用の便宜のため自己の費用で別紙第三目録中二(1)の施設のうち、笹塚原樋の引水口から延長二、四二三間の鉄筋コンクリート管を埋設したい旨の申出をしたが、その際両者間に、右会社は埋設完了とともに右鉄筋コンクリート管を原告に無償で譲渡する旨の契約が成立した。右会社は二四万円の工費で昭和四年に着工し、昭和一〇年に右鉄筋コンクリート管の埋設を完成した。したがつて、原告はこのとき右鉄筋コンクリート管の所有権を取得した。

右譲渡契約が成立したことは、日本麦酒株式会社が昭和八年九月に完成した同会社目黒工場構内の引水暗渠については同会社の資産台帳に記載され、年々減価償却がされているのにかかわらず、右鉄筋コンクリート管については同会社の資産台帳に記載されていないことからも明らかである。

東京府は大正一五年頃自己の事業遂行上本件用水路の位置又は形状を変更する必要に迫られ、原告に対し別紙第三目録中二(2)(ハ)の鎗ケ先水路橋を設置したいと申込んだが、その際、両者間に、東京府は工事完了と同時に右水路橋を原告に無償で譲り渡す旨の暗黙の合意が成立した。そして間もなく右工事が完了したので、原告は右水路橋の所有権を取得した。

別紙第三目録中その他の施設は、原告が本件土地に附着させたもので、もともと原告の所有である。

(不当利得)

(2) 仮りに、本件土地の所有権が被告に帰属しないとすれば、本件土地は被告国の所有に属することになる。別紙第三目録の施設は本件土地に附着した結果、本件土地に附合し、被告国が右施設の所有権を取得した。

したがつて、被告国は法律上の原因なくして右施設の時価である六七、一二五一七七円五〇銭の利得を得、このため原告は右施設の所有権を失つて同額の損害を蒙つた。

(結論)

(3) よつて、原告は被告国に対し、右金員のうち金一〇、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを求める。

第三、被告らの主張に対する答弁

(被告国の主張(一四)、被告東京都の主張(一二)について)

(一)  本件用水が、天然の河川である多摩川(公水)から玉川上水を経て本件水路を流下する流水であり、目黒川に放流されるまで東京都内数区を貫流し、多数の人によりかんがい用に使用されてきたこと、原告が水利組合法第五三条の行政処分により本件用水を第三者に使用させていたことは認めるが、その他は否認する。多摩川の流水も玉川上水に入れば、被告東京都の私権の目的である私水となるのであり、東京都知事は国の機関としてでなく、被告東京都所有のものとして玉川上水を管理していた。本件用水はこのような玉川上水の分水であり、かんがい用に使用される限りでは公水であるが、右用途は昭和初期に消滅したから、それ以後は全く私水となつた。

原告が本件用水を第三者に使用させていたのは、水利組合法第五三条の行政処分によると同時に私法上の契約にもとづくのである。右公法上の権能は昭和初期に消滅した。原告はその後も続いて行政処分の形式をとつてきたが、しかし、これは行政処分としては無効であり、純然たる私法上の契約としてのみ意味があるのである。

(被告国の主張(一五)、被告東京都の主張(一三)について)

(二)  被告らの主張は否認する。

(被告国の主張(一六)について)

(三)  明治初年、民有地に地券が発行され、その後明治二二年に地券制度が土地台帳制度に切りかえられたこと、本件土地について地券が発行されず、土地台帳にも登録されなかつたことは認めるが、その他は否認する。地券が発行され、土地台帳に登録されたのは、個人の私有地に限られ、本件土地のような団体の所有地には右の制度は適用されなかつた。仮りに、その適用があつたとしても、地券の発行や土地台帳の登録という手続上の事実だけで、土地所有権の得喪が左右されることはない。

(被告国の主張(一七)について)

(四)  原告が明治三二年法律第九九号国有土地森林原野下戻法による下戻しの申請をしなかつたことは認めるが、その他は否認する。本件土地は同法第一条第一項の適用を受ける土地ではないし、有租地を意味する同条第三項の「未定地、脱落地」でもないから、本件土地については同法の適用はない。

(被告国の主張(一八)について)

(五)  原告が大正一五年一二月東京府知事に対し、被告国主張の場所の本件用水路の堤について官民所有地境界査定処分を求め、更に査定処分について行政訴訟を提起し、のちにこれを取り下げたことは認めるが、その他は否認する。原告は本件用水路の敷地自体については右査定処分を求めていない。また、原告は右行政訴訟において右堤は原告の所有である旨を主張したのであり、その後裁判外で和解が成立したので右訴訟を取り下げたのである。右査定処分の確定により本件土地が国の所有であることに確定するわけがない。

(被告国の主張(一九)について)

(六)  被告国の主張は否認する。

(被告国の主張(一三)について)

(七)、原告と被告国との間の本件土地の所有権確認請求および地役権確認請求と不当利得金返還請求とは、原告の水利事業運営という同一事実から発生するものであるから、請求の基礎に変更がなく、後者の請求を追加併合することは許されるべきものである。

(被告国の主張(二〇)について)

(八)  原告が公法人として組合費用の賦課徴収権能をもつ反面、管理に必要な費用を支出する義務を負うこと、原告が昭和初年から一〇年以上不当利得金返還請求権を行使していないことは認めるが、その他は否認する。原告としては、本件土地についての権利の帰属が裁判によつて確定しない限り、被告国に対し右不当利得金返還請求権を行使することができない関係にある。したがつて、消滅時効期間はまだ進行を開始せず、不当利得金返還請求権が時効で消滅するはずがない。

第四、被告国の答弁

一、本案前の主張

原告は、本件用水が被告東京都所有の玉川上水からの分流であると主張する。そうであるとすれば、本件用水は被告国の管理する多摩川とは関係がないから、原告は被告国に対し右用水に対する本件水利権を有することにつき確認を求める利益をもたないことになる。

したがつて、右確認を求める訴は却下されるべきである。

二、本案についての答弁

(請求原因に対する答弁)

(一) 請求原因第一項のうち、原告が水利組合法による普通水利組合であり、現在清算中であることは認めるが、その他は知らない。

(二) 請求原因第二項のうち、徳川幕府が寛文四年本件土地を上水路用地として農民から強制収用し、その地域の住民に労力を提供させて本件水路を掘さくしたことは認めるが、その他は否認する。

(三) 請求原因第三項のうち、本件用水が白金御殿に供給されていたが、白金御殿が焼失して享保七年右上水が廃止となつたこと、そのため、右上水の余水の下付を受けかんがい用に使用してきた沿岸農民が困つて、徳川幕府に請願した結果、徳川幕府が原告主張の一四カ村農民に本件用水および本件土地を使用させ、本件用水および本件土地を使用させ、本件土地の年貢を免除したことは認めるが、原告が本件水利権および本件土地の所有権を無償で譲り受けたことは否認する。徳川幕府は前記一四カ村農民に本件水利権と本件土地の使用権を与えただけである。

(四) 請求原因第四項は争う。

(五) 請求原因第五項のうち、徳川時代には原告主張のとおり土地の譲渡につき制限があり、明治五年太政官布告五〇号により右の制限が解除されたことは認めるが、その結果原告が本件土地につき完全な所有権を取得したことは否認する。

(六) 請求原因第六項は知らない。

(七) 請求原因第七項のうち、本件用水の使用目的が、徳川時代には主として田畑のかんがい用で附随的に雑用、工業用であつたが、その後田畑の減少に伴いかんがいの用途が減少し、昭和初期には全く消失し、その後はもつぱら雑用、工業用として使用されるに至つたこと、現在原告が使用料を徴収して第三者に本件用水を雑用、工業用として使用させていることは認めるが、その他は否認する。

(八) 請求原因第八項のうち、原告が本件水利権者および本件土地の所有権者として水利事業を行つてきたことは否認する。

(九) 請求原因第九項は否認する。

(一〇) 請求原因第一〇項の(1)のうち、本件用水および本件土地の使用目的が原告主張のとおりであり、本件用水および本件土地がかんがいの用に供されたことにより公物の性質をもつたことは認めるが、その他は否認する。公物は公用廃止の行政処分がない限り公物としての性質を失わず、取得時効の対象とはならないと解すべきである。本件用水および本件土地は、公用廃止の処分がなかつたばかりでなく、かんがいの用途が失われた後も、それまでどおり多数の人に利用されていたから、依然として公物であり、原告はこれを時効により取得することはできない。

請求原因第一〇項の(2)のうち、原告が使用料を取つて本件用水を第三者に供与していることは認めるが、その他は否認する。原告は水利組合法第五三条にもとづき公法上の権能の行使として第三者から右使用料を徴収してきただけであり、自己のためにする意思で本件水利権を行使し、所有の意思で本件土地を占有してきたのではない。

(一一) 請求原因第一一項のうち、本件水利権および本件土地の所有権が原告に属することを被告国が否認していることは認めるが、その他は否認する。

(一二) 請求原因第一三項(1)、(2)はいずれも否認する。

(一三) 請求原因第一四項の不当利得金の返還を求める予備的請求は、本件水利権、本件土地の所有権または用水地役権の帰属とは何の関連性もないのであるから、これらの権利の確認請求と請求の基礎を異にしている。したがつて、本訴で右の不当利得金の返還請求を追加的に併合することは許されない。

仮りに、右主張が認められないとしても、原告の主張は次のとおり理由がない。

請求原因第一四項の(1)のうち、日本麦酒株式会社が原告主張のとおり延長二、四二三間の鉄筋コンクリート管を自費で埋設し、東京府が原告主張のとおり鎗ケ先水路橋を東京府の費用で設置し、その他原告が設置した施設もあることは認めるが、その他は否認する。別紙第三目録中二の(2)(二)の水路橋は被告国が昭和六年ないし昭和八年頃施工したものであり、その他にも被告国が施工したものがある。

請求原因第一四項の(2)のうち、本件土地が被告国の所有に属すること、別紙第三目録の施設が本件土地に附着した結果、本件土地に附合し、被告国がこれら施設の所有権を取得したことは認めるが、その他は否認する。

(本件用水には私法上の水利権が成立しないこと)

(一四) 本件用水は、天然の河川である多摩川の流水が玉川上水旧玉川上水を経て、本件水路を流下する河川の分流である。多摩川の水は公水であり、玉川上水は、東京市(都)が流水の一部を水道の水源にし、国の機関としての東京府(都)知事が管理している公水であるから、その分流である本件用水の流水も公水であるといわなければならない。このように公の流水に対し、私法上の権利を主張し、特定人の無制限な独占的支配を認めることは許されない。原告はかんがい用途の公共的目的のため本件用水を管理する公法上の権能をもつていたに過ぎないし、水利組合法施行後も同法第五三条による公法上の権能にもとづき、本件用水をかんがいの目的を妨げない範囲で雑用、工業用に使用することを第三者に許可し、使用料を徴収していたにすぎない。この使用許可は私法上の契約でなく行政処分である。

昭和初期、本件用水のかんがい用目的が全く失われたため、原告はその本来の存立目的を失い、右公法上の権能も消滅した。

(水利権が目的によつて制限を受けること)

(一五) 仮りに、公水である本件用水につき原告が私権を有する余地があるとしても、原告主張のように水積二七六坪という大量の流水を常時河川から引水し、農業用のほか雑用工業用その他あらゆる目的に自由にかつ排他的に使用することができる単一の水利権は現行法制存在しない。

原告主張の水利権が前記各目的による水利権の集りであるとしても、農業用水利権は昭和初期本件用水がかんがい用目的を失つたことにより消滅したし、雑用、工業用水利権は、原告がかんがい用水事業を目的とする法人である法的性格からいつて、原告にこれをもつ権利能力がない。

(明治初年本件土地が官有地として取扱われたこと)

(一六) 明治初年、民有地については、個人所有の土地だけでなく、一村または数カ村所有の土地についても、すべて地券が発行された(明治四年一二月二七日太政官布告明治五年大蔵省達第二五号、明治七年太政官布告第一二〇号)。本件土地が原告の所有であつたとすればこれに地券が発行されたはずであるのに、本件土地についてはそのことがなかつた。当時、本件土地のように民有の確証のない用水路は官有地に編入されるのを例としており(明治八年七月八日地租改正事務局議定出張官員心得書第五章第一条)本件土地も官有地に編入された。したがつて、地券制度が明治二二年に土地台帳制度に切りかえられたのちにおいても、本件土地は土地台帳に登録されなかつたのである。

このように、本件土地は明治初年においても民有地としてでなく、官有地として取扱われてきたのであり、国有地であることは明らかである。

(国有土地森林原野下戻法の下戻し申請がなかつたこと)

(一七) 仮りに、本件土地が原告の所有であつたとしても、原告は次のとおり本件土地の所有権を失つた。

本件土地は明治初期の地租改正に際し、官民有区分により官有地に編入された土地である。明治三二年法律第九九号国有土地森林原野下戻法には、右の官民有区分により官有地に編入された土地につき、有租地であると無租地であるとを問わず所有権を主張する者は、明治三三年六月三〇日までにその下戻しの申請をすべく、この期間に申請がないときは、その土地は終局的に国の所有に属する旨が定められている。

しかるに、本件土地については右申請がなかつたので、本件土地は明治三三年六月三〇日の経過により国の所有となり、原告は本件土地の所有権を失つた。

(官民有地境界査定処分の確定により国有地と確定したこと)

(一八) 右の主張が認容されないとしても、原告は本件土地のうち、当時の荏原郡世田谷町大字下山谷四七二番地先から同町六七六番地の一の地先にいたる本件用水路の敷地および堤が国有地であることを前提として、大正一五年一二月東京府知事に対し右土地と隣接地との境界について官民有地区分の査定を求め、東京府知事はその査定をした。原告はこの査定処分を不服として昭和五年一一月一日行政訴訟を提起したが、昭和二四年一〇月右訴訟を取り下げた。これによつて右査定処分は確定し、右水路敷および堤が被告国の所有であることが確定した。

本件土地のうち、右以外の部分も右の区間と一体の水路で全く同一の事情であるから、原告はこの部分について被告国の所有であることを承認したものである。

したがつて、原告は本件土地の所有権を失つた。

(本件土地についての時効の中断)

(一九) 原告は前項記載のとおり行政訴訟の取下げにより本件土地が被告国の所有地であることを承認したのであるから、原告主張の時効は中断した。

(被告国に不当利得金返還義務がない)

(二〇) 仮りに、被告国が附合により別紙第三目録の施設の所有権を取得して利得を得、原告がこのため損失を蒙つたとしても、原告は公法人として組合費用の賦課徴収権能をもつ反面、管理に必要な費用を支出する公法上の義務を負う(水利組合法第四七ないし四九条、第五三条)。したがつて、原告が被告国所有の本件水路を管理し、営造物を改修したため支出した費用は、右公法上の義務にもとづくものとして終局的に原告の負担たるべきものである。それゆえ、被告国の利得は不当利得ではなく、原告は被告国に対してその返還を請求することができない。

仮りに、原告が不当利得金返還請求権を有するとしても、別紙第三目録の物件が本件土地に附合した昭和初年から一〇年以上も原告は被告国に対し右請求権を行使しなかつたのであるから、昭和初年から一〇年の経過により原告の右請求権は時効により消滅した。

第五、被告東京都の答弁

一、本案前の主張

本件用水は被告国が管理する公共の河川である多摩川の分流であるから、右用水に対する本件水利権に関しては被告東京都は何ら関係するところがない。したがつて、原告は被告東京都に対し本件水利権の確認を求める利益をもたない。よつて、右確認を求める訴は却下されるべきである。

二、本案についての答弁

(請求原因に対する答弁)

(一) 請求原因第一項のうち、原告が水利組合法による普通水利組合であり、現在清算中であることは認めるが、その他は知らない。

(二) 請求原因第二項は知らない。

(三) 請求原因第三項は知らない。

(四) 請求原因第四項は争う。

(五) 請求原因第五項のうち、徳川時代には原告主張のとおり土地の譲渡につき制限があり、明治五年太政官布告第五〇号により右の制限が解除されたことは認めるが、その結果原告が本件土地につき完全な所有権を取得したことは否認する。

(六) 請求原因第六項は知らない。

(七) 請求原因第七項のうち、徳川時代には本件用水の使用目的が主として田畑のかんがい用で附随的に雑用、工業用であつたが、その後田畑の減少に伴いかんがいの用途が減少し、昭和初期には全く消失し、その後はもつぱら雑用、工業用として使用されるに至つたこと、原告が被告東京都に対し玉川上水分水料を納入していること、現在原告が使用料を徴収して第三者に本件用水を雑用、工業用として使用させていることは認めるが、その他は否認する。玉川上水分水料は玉川上水の水路敷、堤防等の維持費を原告にも分担してもらう趣旨にすぎない。

(八) 請求原因第八項のうち、原告が本件水利権者および本件土地の所有権者として水利事業を行つてきたことは否認する。

(九) 請求原因第九項は否認する。

(一〇) 請求原因第一〇項の(1)のうち、本件用水および本件土地の使用目的が原告主張のとおりであり、本件用水および本件土地が公物の性質をもつたことは認めるが、その他は否認する。本件用水および本件土地は依然として公物である。

請求原因第一〇項の(2)のうち、原告が使用料を取つて本件用水を第三者に供与していることは認めるが、その他は否認する。原告が本件用水を第三者に供与しているのは水利組合法第五三条にもとづく行政処分によるものであり、私権の行使によるものでない。

(一一) 請求原因第一一項のうち、本件水利権および本件土地の所有権が原告に属することを被告東京都が否認していることは認めるが、その他は否認する。

(本件用水に私法上の水利権は成立しないこと)

(一二) 本件用水は、前記のとおり多摩川の分流であり、目黒川に放流されるまで東京都内数区を貫流し、多年にわたり多数の人によつてかんがい用に使用されてきたし、このほか雑用、工業用等多方面に利用することができるものである。このように、その用途および治水の点で一般公共の利害に影響するところの極めて大きい流水は公水といわなければならない。公水は公法的規律の下に管理されるべきであつて、公水である本件用水につき特定人の独占的支配に任すような私権としての本件水利権は成立する余地がない。

原告が本件用水の使用を第三者に許可してきたのは、私法上の契約によるのでなく、水利組合法第五三条による公法上の管理権能にもとづく行政処分としてであつて、昭和初期に本件用水のかんがい用途が全く消失してからは原告の公法上の右権能も消滅した。

(雑用、工業用水利権と原告の権利能力)

(一三) 仮りに、本件用水につき私法上の水利権を取得することもできるとしても、原告の存立目的は水利組合法および原告の規約によりかんがいおよび治水に関する事業に制限されているから、原告が雑用、工業用の水利権をもつことは、原告の権利能力の範囲をこえるもので、許されない。

第六、証拠関係(省略)

理由

第一、被告国との間の水利権確認の訴

(確認の利益について)

一、被告国が、原告には右の訴につき確認の利益がない、と主張する問題点は、原告が本件用水を被告東京都所有の王川上水からの分流であると主張していることから、本件用水は被告国の管理する多摩川とは関係がない、としている点にある。

しかし、被告国は、本件用水の敷地が被告国の所有であることを主張し、本件用水の水利権が原告に帰属することを否認しているのであるから、原告の右法律上の地位はこれによつて不安になつているのである。したがって、原告は被告国に対し、右訴につき確認の利益をもつことは明らかである。

(原告の沿革について)

二、原告が明治四一年法律第五〇号水利組合法にもとつく普通水利組合(公法人)であつて、現在清算中であることは、当事者間に争いがない。

(証拠)を合わせ考えると、次のとおり認められる。

亭保九年(西暦一七二四年)、田畑のかんがいを目的とし、当時の上目黒村、同村上知、中目黒村、下目黒村、中渋谷村、下渋谷村、白金村、今里村、三田村、代田村、上大崎村、下大崎村、谷山村および北品川宿の一四カ村を構成区域、その農耕地主を構成員として水利組合が設立された。その後、その組合は、明治二三年法律第四六号水利組合条例の施行によつて、組合の目的、構成区域、構成員等の実体関係に変更がないまま、同条例にもとづく普通水利組合として成立し、公法人となつた。そして、それはさらに、明治四三年法律第五〇号水利組合法の施行により、右の実体関係が同一のまま同法にもとつく公法人としての普通水利組合とみなされた。これがすなわち今日の原告である。

以上のとおり認められる。

右認定に反する証拠はない。

(本件用水に私権としての水利権が成立するかどうかについて)

三、被告は、本件用水が公水であることから、公水である本件用水に対しては私権としての本件水利権は成立する余地がない。と主張する。

鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果に照らして考えると、一般に流水が公水であるか私水であるかの区別は、特定の私人に流水の完全な排他的支配を許しても、公共の利害に影響するところがないかどうか、すなわち流水利用の経済的社会的価値と治水との両面からみて私人に排他的支配を許すことが公共の利害に影響しないかどうか排他的支配を許すことが公共の利害に影響しないかどうかによつて決めるべきであると解することができる。

本件用水は、天然の河川であり公水である多摩川の流水が玉川上水を経て本件水路を流れる水であること、玉川上水は徳川幕府が特定の用途のために設置管理してきたが、明治以来東京府(のちに東京都)が管理していること。本件用水は、そのうち延長二、四二三間が現在地下に埋設した鉄筋コンクリート管の暗渠となり、外部と遮断されており、以前はかんがい用に使用されていたが、昭和初期以降は雑用、工業用として使用されていることは、当事者間に争いがない。

そして(証拠)を合わせ考えると、玉川上水はその形状において大規模な流水であり、主として東京都民の水道の水源として使用されているが、本件用水は玉川上水より小規模であり、昭和初期以来日本麦酒株式会社その他によつて使用されていることが認められる。

右認定に反する証拠はない。

玉川上水がその利用、治水の両面から多数住民の公共の利害にいちぢるしい影響をもつことは、以上の諸事実から明らかであるから、それは公水と解すべきである。

三田用水は、玉川上水よりも小規模であるが、昭和初期以前にはかんがい用に利用されていた実状でもあり、暗渠となる以前においては、その利水、治水の両面からみて、公水であつたとすべきである。かんがい用途がなくなり、もつぱら雑用、工業用に使用されるようになり、暗渠となつた後においては、治水面で公共的観点から規制する必要はなくなつたが、玉川上水より小規模であるとはいえ、二里余りの延長をもち、その利用価値が大きいところからみて、それは、なお、公水であるとするのが相当である。

このような公水に私権としての水利権が成立するかどうかは説の分れるところである。一般に公水に対する使用権が行政処分で設定されるからといつて、これを直ちに公権とすることはできない。漁業権や鉱業権は行政処分で設定されるが、私権であることに問題はない。公水に対する使用権が使用権者の私的な経済的利益を充たすためのものである限り、それは私権としての性質をもつ水利権と解することが相当である。

原告が田畑のかんがいを目的として本件用水を管理する公法上の権能をもつていたことは当事者間に争いがないが、このような場合、原告があわせて本件用水に対し前記のような私権としての水利権を亭有することは、なお可能であり、前記水利組合法の施行により原告が公法人となつてもこのことに変りがない、と解すべきである。

(使用目的による水利権の制限について)

四、原告は、本件水利権は原告の必要に応じてかんがい用、雑用、工業用いずれにも使用目的を転換することができる権利である、と主張する。

しかし、およそ水利権は、所有権のような流水に対する抽象的包括的な支配権ではなく、一定の水量を特定の目的のために使用する内容をもつ(すなわち、具体的内容をもつ)支配権である。水利権は、水量の点から制限されるのは勿論、使用目的の点からも制限され、かんがい用、雑用、工業用等の具体的な各使用目的に応じて個々別々の権利として成立する、と解すべきである。

したがつて、ある使用目的の水利権は、その使用目的の消滅によつて消滅し、他の使用目的の別個の水利権に当然に転換することはなく、別個の水利権として成立するためには、あらたに所轄行政庁の許可によつて、その使用目的の水利権の設定を受けなければならないと解すべきである。

鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果の中には、右に反する見解があるが、これは採用することができない。

以下、原告が主張する本件水利権の取得原因たる事実について順次検討する。

(亭保九年当時の本件用水の使用関係について)

五、次の事実は当事者間に争いがない。

徳川幕府は寛文四年(西暦一六六四年)本件土地を上水路用地として農民から強制収用し、その地域の農民に労力を提供させて本件水路を掘さくし、玉川上水から引水した。本件用水は徳川幕府が築造した白金御殿に水を供給していたが、右御殿の焼失によつて水の供給の必要がなくなつたので、亭保七年に通水を止め、廃止された。それまで本件用水の残水をもらい受け、田畑のかんがい用に使用してきた沿岸住民は、このために困り、徳川幕府に本件用水の使用を請願した。そこで、徳川幕府は亭保九年前記一四カ村農民に本件用水の使用を許可した。

以上の事実は当者事間に争いがない。

(原告が水積二一坪を除きかんがい用の本件水利権を取得したかどうかについて)

六、前記二、五の事実に、乙第一、二号証、甲第一八号証と鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果とを合わせ考えると、次のとおり認められる。

亭保九年徳川幕府が前記一四カ村農民に本件用水の使用を許可するに際し、右一四カ村農民が農民個人間の水利関係を規制するために水利団体を設立した。この水利団体が原告のもとの姿である。徳川幕府は亭保九年田畑のかんがい用に使用させるため本件水利権(水積二一坪を除く)を一四カ村農民および原告に設定した。そこで、右水利団体(原告)は本件用水を支配管理し、右一四カ村農民は、右水利団体の規制のもとで右用水を引水利用するに至つた。

以上のとおり認められる。

右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

(右水利権の性格と権利主体としての原告と一四カ村農民との関係について)

七、右六の事実を、鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果に照らして考えると、次のとおり理解するのが相当である。

右水利権は主として一四カ村農民が田畑のかんがい用に使用するため設定された権利であるから、私的な性格の水利権であり、現在の法体系からみれば私権としての性格をもつものというべきである。

右水利権の主体としての原告と一四カ村農民との関係は次のとおり。

原告(水利団体)は、法人格を取得する前には、その構成員である農民個人と対立した法的主体者ではなく、農民が個人としての地位を失わずに、農民の集合体がそのまま単一体としての団体を構成していたもので、団体と個人とが不可分的統一体をなす綜合的団体であつた。

右団体の特質から、右水利権は前記一四カ村農民個人に帰属すると同時に、その総体である右水利団体(すなわち原告)にも帰属した。

このように、権利の主体者としては農民個人とその総体である原告とは不可分的な統一体をなしていたが、その果す役割からみれば、水利団体である原告は、水利施設物を管理維持し、農民個人に対する本件用水の配水を規制するなど、本件水利権を管理処分する権能をもち、農民個人は原告の規制にしたがい、その統制のもとで本件用水を引用する権能をもつていた。すなわち本件用水の利用者である農民個人とともに、管理処分の権能をもつ右水利団体(すなわち原告)も、本件水利権をもつていた。

水利組合条例の施行により、原告は、法人格を取得し、農民個人と対立する法主体者となつたが、右実体関係には変更がなく、同条例にもとづく普通水利組合の設置と同時に、組合員である土地所有者はそれまでどおり本件用水を引水使用することを内容とする本件水利権を有し、原告はそれまでの水利団体が有していた本件用水を管理処分する権能を内容とする本件水利権を承継した(水利組合条例附則第五七条「此法律に依り設置する水利組合に於て旧町村会又は水利土功会の事業を継続するときは其既成の工事及所属の財産は総て其組合に引継ぐべきものとす。」もこの趣旨に解することができる)。水利組合法の施行後もこの点には何らの変更がなかつた。

以上のとおり理解することができる。

(原告が右のほか水積二一坪のかんがい用水利権を取得したかどうかについて)

八、原告は、本件用水のうち、水積六坪の水利権を岩崎小弥太から、同量の水利を毛利元徳から、水積九坪の水利権を北白川宮家から譲り受けたと主張する。

ここでは、かんがい用水利権に限つて考える。

しかし、岩崎小弥太、毛利元徳、北白川宮家が右用水(水積二一坪)をかんがい用に使用し、かんがい用水利権を有していたことを認めるに足りる証拠はない。

抽象的包括的な水利権が認められないことは前記三のとおりであるから、右譲渡があつたかどうかを判断するまでもなく、原告は右水積合計二一坪本件用水につきかんがい用水利権を取得したことは認めない。

(かんがい用の農業水利権の消滅について)

九、前記六のとおり、原告が亭保九年徳川幕府から設定を受けたのは、かんがい用を目的とする農業水利権であつた。

明治、大正と時代が移り、原告の地域内にある田畑が減少し、昭和の初めには田畑もなくなり、かんがい用途も全く消滅したことは、当事者間に争いがない。

したがつて、原告がもつていた本件用水に対するかんがい用水利権は、昭和の初め頃消滅したのである。

(他の使用目的の水利権と原告の権利能力について)

一〇、前記認定のとおり、原告は亭保九年田畑のかんがい用目的のために創設された水利組合であり、水利組合法第五条は「普通水利組合はかんがい排水に関する事業のため設置するものとす」と規定してあり、丙第一号証によると、三田用水普通水利組合規約第二条によつて法人である原告の目的は、田畑のかんがい用およびこれに伴う本件水路の保存に関する事業に限定されていることが認められる。

右認定に反する証拠はない。

したがつて、原告の権利能力の範囲は田畑のかんがい用の水利権に限られ(これに通常附随する程度の雑用目的の水利権も含む)原告が右かんがい目的から独立した雑用、工業用水利権をもつことは原告の権利能力の範囲を超えるものといわなければならない。

水利組合法第五三条は、普通水利組合はかんがい事業の妨害とならない範囲で第三者に対し用水を他の目的に使用させることができる旨を規定している。

しかし、右の規定は、かんがい排水の事業を目的とする公法人としての普通水利組合が、その営造物に対する公法上の管理権能にもとづき行政処分をすることができることを明らかにした趣旨のものであり、普通水利組合の権利能力を拡大する趣旨のものではない。

普通水利組合の目的を定める水利組合法第五条は昭和二四年法律第一九六号土地改良法施行法によつて削除されたが、前記のとおり原告組合規約によつて定められた原告の目的に変更はないから、右規定の削除により原告の前記権利能力の範囲はなんの影響も受けないものといわなければならない。

したがつて、原告が主張する本件水利権(雑用、工業用等かんがい以外の使用目的の水利権について)の各取得原因事実があつたかどうかを問うまでもなく、原告は本件用水について雑用、工業用等かんがい以外の使用目的の水利権を有することはないのである。

(結論)

一一、以上のとおり、原告は本件水利権を有しないから、被告国との間で、原告が本件水利権を有することの確認を求める原告の請求は、理由がない。

第二、被告東京都との間の水利権確認の訴および同被告に対する水利権妨害予防の訴

(確認の利益について)

一、被告東京都が、本件水利権確認の訴につき原告には確認の利益がない、と主張する理由は、本件用水は被告国の管理する多摩川の分流であるから、被告東京都は原告が本件水利権を有するかどうかに何も関係がない、というにある。

しかし、本件用水が被告東京都の管理する玉川上水を経て本件水路を流下する流水であることは、当事者間に争いがなく、また原告が昭和二四年六月六日法律第一九六号土地改良法施行法の施行によつて昭和二七年八月三日解散した後は、地方自治法第二条第二項第三項第二号によつて、被告東京都が本件用水を管理する行政上の立場にあるのである。このような立場にある被告東京都が、本件水利権が原告に帰属していることを否認しているのであるから、原告の右法律上の地位はこれによつて不安にさらされているものといわなければならない。したがつて、原告は被告東京都との間で、右訴につき確認の利益をもつことになるのである。

(原告の沿革について)

二、前記第一の二に判示したとおりである。

(本件用水に私権としての水利権が成立するかどうかについて)

三、被告東京都は、本件用水はその用途および治水の点で公共の利害に影響するところが大きくて公水であるから、公法的規律のもとにおかれるべきで、これに対する私的な独占的支配は許されない、と主張する。

一般に流水が公水であるか私水であるかの区別については、前記第一の三に判示したとおりである。

本件用水は、天然の河川であり公水である多摩川の流水が玉川上水を経て本件水路を流れる水であること、玉川上水は徳川幕府が管理していたが、明治時代になつてからは東京市(のちに東京都)が管理していること、本件用水は徳川時代からかんがい用に使用されてきたが、昭和初期以降はもつぱら雑用、工業用として使用されていることは、当事者間に争いがない。

(証拠)を合わせ考えると、玉川上水はその形状において大規模な流水で、主として東京都民の水道の水源として使用されていること、本件用水は玉川上水より小規模で、その水路のうち延長二四二三間が地下に埋没した鉄筋コンクリート管の暗渠で外部と遮断されており、原告は昭和初期以来日本麦酒株式会社その他にこれを使用させていることが認められる。

右認定に反する証拠はない。

玉川上水および本件用水がいずれも公水であること、公水に対しても私権としての水利権が成立すること、原告が本件用水に対し公法上の管理権能をもつと同時に、私権としての水利権を亨有することも可能であることについては、前記第一の三に判示したとおりである。

(使用目的による水利権の制限について)

四、前記第一の四に判示したとおりである。

(原告が水積二一坪を除きかんがい用の本件水利権を取得したかどうかについて)

五、前記二の事実に、乙第一、二号証、甲第一八号証と鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果とを合わせ考えると、次のとおり認められる。

徳川幕府は、寛文四年本件土地を上水路用地として農民から強制収用し、その地域の農民に労力を提供させて本件水路を掘さくし、玉川上水から引水した。徳川幕府は白金御殿を築造し、元禄一一年本件用水を右御殿に供給したが、その後右御殿が焼失したので、享保七年、本件用水の通水を止め、これを廃止した。それまで本件用水の残水をもらい受け、田畑のかんがい用に使用してきた沿岸地域の農民は、このために困り、徳川幕府に本件用水の使用を請願した。そこで、徳川幕府はこの請願を容れ、享保九年、田畑のかんがい用に使用させるために本件水利権(水積二一坪を除く)を一四カ村農民および原告のため設定した。その際に、右農民は、本件用水を共同で使用する関係上、農民相互間の水利関係を規制するために、水利団体(今日の原告組合)をつくつた。そこで、原告は本件用水を支配管理し、右一四カ村農民は、原告の規制のもとで右用水を引水利用するに至つた。

以上のとおり認められる。

右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

(右水利権の性格と権利主体としての原告と一四カ村農民との関係について)

六、右五の事実を、鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果に照らして考えると、前記第一の七に判示したとおり、本件水利権は私権としての性格をもち、一四カ村農民に帰属するとともに原告にも帰属し、この点は原告が法人格を取得した後も変らなかつた、と解することができる。

(原告が右のほか水積二一坪のかんがい用水利権を取得したかどうかについて)

六、前記第一の八に判示したとおりである。

(かんがい用の農業水利権の消滅について)

七、前記第一の九に判示したとおり、原告がもつていたかんがい用の本件水利権は昭和の初め頃消滅した。

(他の使用目的の水利権と原告の権利能力について)

八、原告の権利能力の範囲は田畑のかんがい用事業に限定され、原告が雑用、工業用かんがい以外の使用目的の水利権をもつことは、原告の権利能力の範囲を超えるもので許されない。このことは、前記第一の一〇に判示したとおりである。

(結論)

九、以上のとおり、原告は本件水利権を有しないから、被告東京都との間で、原告が本件水利権を有することの確認を求める原告の請求および原告の被告東京都に対する本件水利権にもとづく妨害予防の請求は、いずれも理由がない。

第三、被告国との間の本件土地の所有権確認の訴

(原告の沿革について)

一、前記第一の二に判示したとおりである。

(徳川時代から明治時代にかけての土地所有権の変遷について)

二、真正にできたことに争いのない甲第二二号証と鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果とに照らし考えると、次のとおり理解するのが相当である。

(1)、徳川時代には、土地は私人の所有に属せず、国の所有であつたとの説もあるが、誰の所有であるかを問題とする前に、注意すべきことは、同時代には現行法の所有権のような土地に対する(1)抽象的観念的な支配権(2)絶対的な支配権(3)包括的な支配権(一物一件主義)という特質をもつ権利は存在せず、「所持」とか「支配進退」と呼ばれる土地に対する支配権だけが存在したことである。この「所持」=「支配進退」権は現行法の所有権的内容のものから質権、永小作権的内容のものまでを含んで一般的に呼ばれた権利の名称である。その特色の一つは、土地に対する単なる抽象的観念的な支配権ではなく、具体的現実的な土地の支配と結びついている点にあり、土地を現実に支配し、そこから具体的に利益を引出すことのできる人が、その土地を「所持」=「支配進退」しているということになるのである。第二の特色は、「所持」=「支配進退」権は包括的な支配権ではなく、分割的な支配権である点にあり、一つの土地に領主的所持(年貢徴収の利益)と農民的所持(耕作利用の利益)とが重なり合い、後者も地主的所持と耕作者の所持に分裂して成立することができたのである。

(2)、明治元年一二月一八日の太政官布告は、封建領主の土地領有を廃止して百姓所持の原則を宣言し、明治四年九月七日の大蔵省達第四七号は、田畑の使用収益の自由を明治五年二月一五日の太政官布告第五〇号は四民(士・農・工・商)に「所持」を許し売買の自由を認めた。そして、明治政府は地位改正をめざし、明治四年一二月二七日の太政官布告、明治五年二月二四日の大蔵省達第二五号、同年七月四日の大蔵省達第八三号、明治七年一一月七日の太政官布告第一二〇号により、全国の私有地全部につきその所有者に地券を交付することにした。このような地租改正の段階を経て前記の特質をもつ近代的所有権制度は確立した。

(3)、近代的土地所有権制度の確立に伴い、土地所有権の帰属を決定するものは何であるかが問題となる。土地が領主の支配から解放されたことは前記のとおりである。地租改正に際して発行された地券は、所有権を創設する効力をもつものでなく、土地所有権であることを確認する機能をもつにすぎない(明治五年二月二四の大蔵省達第二五号地所売買譲渡に付地券渡方規則第六条「地券は地所持主たるの確証」)。結局、近代的土地所有権制度の導入に伴い土地所有権を誰に帰属させるべきかについて直接に規定した立法はないから、それまで土地について最も強い支配力をもつていた者の既得権が尊重されなければならない道理である。したがつて、徳川時代から土地を「所持」=「支配進退」してきて、前記の各太政官布告等により土地支配についていた諸制限が取除かれた結果所有権の内容に最も近い強力な支配力をもつていた者が、近代的土地所有権制度の確立によつて、その土地の所有権者になつた、と解するのが相当である。

(原告が徳川幕府から本件土地の「所持」権を取得したかどうかについて)

三、原告は、「原告は享保九年徳川幕府ないし徳川家から本件土地の所有権を無償で譲り受けてこれを取得し、それ以来所有権者として土地を支配管理してきた。」と主張している。「所持」から所有権への変遷は前記のとおりであるから、右主張には所有権制度確立前に関する限り「所持」の権利の主張が含まれているとみるべきである。

前記第一の五に判示したとおり、本件用水が開設されたいきさつに関することおよび後に本件用水が廃止されたが、前記一四カ村農民の請願により徳川幕府が享保九年右農民に本件用水を使用することを許可したことは、当事者間に争いがない。

当事者間に争いのない右の事実に、乙第一、二号証、甲第二二号証と鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果とを合わせ考えると、次のとおり認められる。

本件土地は、武家屋敷の上水用として開設された本件用水の敷地として、徳川幕府が「所持」し、その公的管理下においた土地であつた。本件用水は亭保七年公的使用目的の消失により一旦廃止となつたが、徳川幕府は享保九年原告組合員である農民のかんがい用のためこれを再開し、なお幕府の公的管理下におきながら、前記第一の六に判示したとおり、一四カ村農民とその総体である原告のために本件用水の水利権を設定した。水利権者の用水の支配には水利施設物および用水敷地の支配をも伴うものであり、かつ徳川時代における土地に対する支配権(「所持」=「支配進退」)は具体的支配(用益)と不可分的に結びついている特質を考慮すると、特段の事情の認められない本件では、一四カ村農民とその総体である原告は、享保九年徳川幕府から本件水利権とともに本件土地の「所持」=「支配進退」の権利をも与えられ、これを取得したものとみるべきである。

その後寛政九年(西暦一七九七年)当時、工事費用の半分以上を各村農民が負担して本件水利施設物維持の工事をしていたが文政年間(西暦一八一八年〜一八二九年)には全額各村農民の負担で本件水利施設物が維持された。このように、徳川幕府は次第に水利施設物および本件土地の公的な管理権を放棄するに至り、本件用水および本件土地は一四カ村農民およびその総体である原告が完全にこれを支配進退するようになつて、明治時代を迎えた。

以上のとおり認められる。

右認定に反する乙第一一、一二号証の意見は次の四に判示する理由で採用することができないし、証人島本正一の証言のうち、原告の事務のとつたことのある島本正一が本件土地を官有地であると考えていたという部分は島本個人の単なる結論的な意見にすぎず、右の認定をくつがえすに足りない。

他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(乙第一一、一二号証について)

四、乙第一一、一二号証によると、石井良助東大教授の意見は、「本件土地はもと民有地であつたが、徳川幕府はこれを没収して御用地とした。御用地はすなわち徳川幕府の所有地である。享保九年徳川幕府が本件用水の分水を許可した際に、右の所有関係には変動がなく、徳川幕府の所有のまま明治時代に至つた。」というのである。

(1)  前記第三の二のとおり、徳川時代には今日の所有権にあたるものはなく、「所持」=「支配進退」の権利が存在しただけであるから、「徳川幕府が御用地として所有していた。」ということは、「徳川幕府が『所持』し、公的管理を行つていた。」という意味に解しなければならない。

(2)  右の乙第一一、一二号証の結論を支持する根拠となつているものは、第一に、乙第一号証中「堀敷御年貢御引分被二成下一候」の文言である。乙第一一号証は、「『御年貢御引分』とは『御年貢御引方』の誤りであり、後者の意味は『免租』である。免租地はすなわち御用地、御用地はすなわち徳川幕府の所有地であるから、本件土地は享保九年の分水に際しても依然として徳川幕府の所有として残つた。」という。乙第一二号証は右の考えを改め、「『御年貢御引分』とは、検地の際高(例えば一反)が定められた田畑が、実面積とくいちがう場合、堀敷とするにあたり、高のくいちがいを堀敷になつた土地と残地とに分配調節することである。この高の割りあては、すなわち年貢の引分である。ところが、享保七年の法令によつて、田畑を御用地として没収するには相当額を補償することになつた(本件土地は寛文四年に無償で没収されたが)、そこで右の法令の精神に従つて、享保で九年、一旦廃止された古堀を本件用水の敷として使用するについて年貢の引分を行なつた。そうであるとすると、本件土地は寛文四年御用地として徳川幕府の所有地となつたのであり、その後の享保九年に本件土地の所有関係には変更がなかつた。」という。

しかし、甲第二二号証、鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果によると、次のとおり解することができる。

先ず乙第一一号証について。徳川幕府の所有地はすべて免租地であるが、逆に免租地はすべて徳川幕府の所有地ではない。本件用水の場合、享保九年以前からの御用地であるなら、享保九年にあらたに年貢免除を掲げる必要はない。乙第一号証の前記文言はむしろ潰地(堀敷)になつたものについては御用地でなくても年貢を免除する意味に解するのが自然である。

次に、乙第一二号証について。乙第一二号証が年貢引分の例としてあげている享保一〇年の鬼怒川堀敷残地改覚は「年貢引分」の言葉を用いていないし、その他これを「年貢引分」の例証とする根拠は充分でない。

以上のとおり、乙第一号証の前記文言は、乙第一一、一二号証の前記結論を支持する根拠とはならない。

(3)  第二に、乙第一二号証は天明八年の三田用水組合一四ケ村惣代願書の記事を引用し、 一、(1)徳川幕府は、堀敷について、私領、寺社領に属する分は、私領、寺社領の領主、地頭へ年貢を支払うことにした。これは堀敷が徳川幕府の所有となつたからこそ、いわば地主の立場で領主、地頭に年貢を支払うことにしたのである。(2)徳川幕府は本件堀敷(本件土地)に対し堰料を徴収することのできる立場にあつた。このことは、徳川幕府が本件土地を所有していたからであり、寛文四年「御用地」として没収して以来、本件件土地が徳川幕府の所有地であつたことを示すものである。」という。

しかし、甲第二二号証と鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果とによると次のとおり解するのが相当である。

先ず(1)の点について。徳川時代の土地の「所持」権は土地から生ずる収益に対する支配権であり、具体的収益と不可分に結びついた権原である。従来の収益地(領主にとつては年貢をとり、地主にとつては地代をとる土地)が徳川幕府の公用収用によつて堀敷とされ無収益地となつたとき、幕府が土地の所有を取得したかどうかとは関係なく、土地の収益を失わせた公用収用の責任者として(土地所有者の責任としてでなく)領主、農民にその損失を補償する意味で年貢、地代を払つたにほかならなかつた。

次に(2)の点について。乙第一二号証があげている資料によると、各村々が助郷大役をつとめたことが堰料免除の理由となつている。助郷を徴収するのは幕府の公的管理権の発動によるものであるから、助郷義務とひきかえに堰料を免除したのは土地所有者としての幕府の私的立場から出たものではなく、幕府の公的管理機能にもとづいて行つたのである。したがつて、堰料徴収権のあることは、徳川幕府が享保九年以後本件土地を所有していたことの証明にはならない。

以上のとおり、右(1)、(2)の点いずれも乙第一一、一二号証の前記結論を支持する根拠にならない。

(4)  第三に、乙第一一号証は、「明治初期の地租改正に際し、本件土地が原告の所有であつたとすれば、原告は当然に地券を受けるべきであつた。しかるに、原告は地券を受けなかつた。このことは当時本件土地が官有地と考えられていたことを示すものである。したがつて、本件土地は享保九年以後幕府ないし政府の所有であつた。」といい、乙第一二号証は、「原告は本件土地につき明治三二年法律第九九号国有土地森林原野下戻法による下戻の申請をしなかつた。本件土地は右法律の適用を受ける土地であり、原告がこのことを知らなかつたとは考えられないから、原告は当時本件土地が民有でないことを知つていたのである。」という。

しかし、甲第二二号証に照して考えると、近代的私所有権制度が確立した明治初期には、水路敷のような土地については、具体的用益を離れた抽象的私所有権をもつているという意識はまだごく弱かつたと解されるから、前記のことだけで当時原告が本件土地を原告の所有でないと積極的に意識していたと認めることは無理である。

証人島本正一の前記証言も原告の所有意識を示すものとは認められない。

以上のとおりであるから、前記三の認定に反する乙第一一、一二号証の結論は採用することができない。

(権利主体としての一四カ村農民と原告との関係について)

五、原告および一四カ村農民が享保九年徳川幕府から本件土地の「所持」権を取得したことは前記三に判示したとおりであるが、権利主体としての一四カ村農民と原告との関係はどのようなものであつたか。

鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果に照して考えると、次のとおり解するのが相当である。

原告は、享保九年、一四カ村農民が本件用水の水利権および本件土地の「所持」権を取得する際に、本件用水の利用関係を規制するために設立された団体である。当時、原告はその構成員である農民個人と対立した法的主体者ではなく、農民個人の集合体がそのまま団体となつたもの、すなわち農民個人の総体がそのまま単一の団体となつている綜合的団体であつた。このような綜合的団体においては、権利のうち管理処分権能は団体に帰属し、収益権能は団体の規制のもとで構成員に帰属していた。したがつて、このような団体においては、権利は団体に属していると同時に構成員にも属しているという関係にあつた。この関係は本件土地についても同じである。原告は本件土地の管理処分権能をもち、構成員たる農民は利用権能をもつていた。この意味で、原告も一四カ村農民もともに本件土地の「所持」権をもつていたというべきである。以上のとおり考えられる。

(原告の本件土地に対する「所持」権が所有権に転換したことについて)

六、前記認定のとおり、原告は享保九年徳川幕府から与えられて本件土地の「所持」権を取得し、それ以来本件土地を支配進退し、明治初年には完全に排他的に本件土地を支配管理するに至つたのである。

したがつて、前記二に判示した標準により明らかなとおり、明治初期の地租改正の段階を経て近代的私所有権制度が確立したのに伴い、原告は、それまでの右の土地支配の実績により本件土地の所有権者になつたものと解するのが相当である。

この段階では、原告の所有権は前記五に判示した実体関係のままで、構成員の農民個人にも分属し(この権利の帰属関係はいわゆる総有関係である)その限度で近代的所有権としては不完全なものであつた。

水利組合条例の施行により、原告は法人格を取得した。もともと本件土地は流水の敷地として水利施設とともに共同利用の生産手段たる性格をもつていたから、原告が法人格を取得したとき、原告組合員に分属した所有権の利用権能は消滅し、本件土地の所有権は原告に単一の権利として帰属するに至り(法人たる団体と構成員たる組合員とは相互に独立な、かつ相対立する法主体者となつて分裂したから)、ここに原告は本件土地の包括的支配権の担い手として完全な所有権者となつたと解するのが相当である。

(本件土地に地券が発行されず、本件土地が土地台帳に登録されなかつたことの効果について)

七、明治初期に地券が私有地について発行され、のちに地券制度が土地台帳制度に切りかえられたが、本件土地については地券の発行がなく、土地台帳にも登録されなかつたことは、当事者間に争いがない。

前記二の(2)にあげた地券発行に関する各太政官布告、大蔵省達は、地券を団体所有地も含めた全私有地について発行する趣旨であり、明治五年二月二四日の大蔵省達第二五号地所売買譲渡に付地券渡方規則第六条に「地券は地所持主たるの確証」とあるところからも、地券は所有権を創設する効力はなく、単に土地所有権を証明するものにすぎないと解すべきである。

このことは土地台帳の登録についても同様である。

したがつて、原告所有の本件土地も本来地券の交付(のちに土地台帳ができてからはその登録)を受けるべき土地であるが、これを受けなかつたことにより原告が本件土地の所有権を失うことにはならない。

被告国は、「地券の交付を受けていないような民有の確証のない用水路は、官有地に編入されるのを例とし、本件土地もこのような土地として官有地に編入され、官有地として取扱われたものであり、したがつて本件土地は国有地である。」と主張する。

真正にできたことに争いのない乙第四号証によると、明治八年七月八日地租改正事務局議定出張官員心得書第五章第一条には、かんがい用の用水路等につき「民有地の証なきものは官有地第三種と定め内務省の処分に帰すべし、」と載つていることが認められるから、一般には被告国のいうような取扱いの方針であつたものと推定される。

しかし、右は取扱いの方針にすぎず、これによつて直ちに官有地編入処分の効果が生ずるものではないから、これだけでは本件土地が官有地に編入処分され、官有地として取扱われたことを認めることはできない。

他に被告国の右主張事実を証明するに充分な証拠はない。

したがつて、被告国の右主張は理由がない。

(国有土地森林原野下戻法の下戻しの申請について)

八、原告が明治三二年法律第九九号国有土地森林原野下戻法による下戻しの申請をしなかつたことは、当事者間に争いがない。

しかし、真正にできたことに争いのない乙第一二号証、甲第二号証、鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果とに照らして考えると、右法律については次のとおり解するのが相当である。

明治初年地租改正の際誤つて官有地に編入された土地について、下戻し申請があとを断たなかつたので、国有財産の整理と営林事業の計画との必要から、下戻し申請をすることができる期限を右法律で設けることにした。すなわち、右法律の趣旨は、明治三三年六月三〇日を経過すれば、下戻しの申請を許可しないことにするということにつきるのである。したがつて、その後においても明治二三年一〇月九日法律第一〇六号により行政裁判所に出訴することはできたのであり、右下戻しの申請がなかつたこと自体によつて、終局的に土地所有権の得喪変更を生ずることはなかつたのである。

以上のとおり解するのが相当である。

したがつて、前記のとおり、本件土地が官有地に編地に編入されたことが認められない以上、原告は本件土地の所有権を失うことはなかつたのである。

被告国の右主張は理由がない。

(大正一五年の官民有境界査定処分について)

九、原告が大正一五年一二月東京府知事に対し、本件土地のうち、当時の荏原郡世田谷町大字下山谷四七二番地先から同町六七六番地の一の地先にいたる本件用水路の堤と隣接地との境界について官民有地境界の査定処分を求めて、査定処分を受け、これに対し行政訴訟を提起し、のちにこれを取り下げたことは、当事者間に争いがない。

被告国は、「右取下げにより査定処分が確定したため、右水路敷が被告国の所有であることに確定し、原告は本件土地の所有権を失つた。」と主張する。

(証拠)を合わせ考えると、東京府知事は右土揚敷地と隣接民有地との境界につき右土揚敷(堤防)は隣接民有地に、水路敷は国有地に含まれることを内容とする境界査定処分をしたことが認められる。

しかし、右境界査定処分が有効であるためには、国有地と民有地とが隣接していることが前提となるにかかわらず、土揚敷は原告の所有であること前記のとおりであるから、右境界査定処分は境界査定の対象とすることのできない土地についての処分であつて、有効な境界査定処分とはいえないのである(無効な処分である)。

したがつて、右処分の確定により、原告が右水路敷地の所有権を失うことはないわけである。

被告国の右主張も理由がない。

(結論)

一〇、以上のとおり、原告は本件土地の所有権を有している。

第四、被告東京都に対する本件土地所有権の妨害予防の訴

(原告の沿革について)

一、前記第一の二に判示したとおりである。

(徳川時代から明治時代にかけての土地所有権の変遷について)

二、前記第三の二に判示したとおりである。

(原告が徳川幕府から本件土地の「所持」を取得したかどうかについて)

三、原告が享保九年徳川家から本件土地の所有権を無償で譲り受けたという主張には、徳川時代の「所持」の権利の主張が含まれているものとみるべきである。

原告の沿革に、乙第一、二号証、甲第二二号証と鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果とを合わせ考えると、次のとおり認められる。

徳川幕府は、寛文四年、本件土地を、武家屋敷の上水用として開設した本件用水の敷地として農民から強制収用して「所持」し、その公的管理下においていた。徳川幕府は元禄一一年本件用水を白金御殿に供給していたが、その後、右御殿が焼失したので、本件用水は享保七年に通水を止め、廃止された。それまで本件用水の残水をもらい受け、田畑のかんがい用に使用してきた沿岸地域の農民は、このために困り、徳川幕府に本件用水の使用を請願した。そこで、徳川幕府はこの請願を容れ、公的使用目的の消失により一旦廃止した本件用水を原告組合員たる農民の私的経済的利益のために再開し、なおその公的管理下におきながら、享保九年、前記一四カ村農民とその総体である原告のために本件水利権を設定した。水利権者の用水の支配には水利施設物および用水敷地の支配をも伴うものであり、かつ徳川時代における土地に対する支配権(「所持」=「支配進退」)は具体的支配(用益)と不可分に結びついている特質を考慮すると、特段の事情の認められない本件では、一四カ村農民とその総体である原告は、享保九年徳川幕府から本件水利権とともに、本件土地の「所持」権をも与えられ、これを取得したとみるべきである。

その後寛政九年当時、維持費の半分以上を各村農民が負担して本件水利施設物維持の工事をしていたが、文政年間には全額各村農民の負担で本件水利施設物が維持された。このように、徳川幕府は次第に水利施設物および本件土地の公的管理権を放棄するに至り、本件用水および本件土地は一四カ村農民およびその総体である原告が完全に支配進退するようになつて明治時代を迎えた。

以上のとおり認められる。

右認定に反する乙第一一、一二号証は次の四に判示する理由で採用することができないし、証人島本正一の証言のうち、原告の事務をとつていた島本正一が本件土地を官有地であると考えていたという部分は本島個人の単なる結論的意見にすぎず、右認定をくつがえすに足りない。

(乙第一一、一二号証について)

四、前記第三の四に判示したとおりである。

(権利主体としての一四カ村農民と原告との関係について)

五、前記第三の五に判定したとおりである。

(原告の本件土地に対する「所持」権が所有権に転換したことについて)

六、前記第三の六に判示したとおりである。

(本件土地所有権に関する妨害の危険について)

七、原告は、被告東京都が本件土地所有権を侵害するおそれがあると主張し、その根拠として、被告東京都が、本件土地が原告の所有であることを否認して、昭和二七年三、四月頃、原告が解散した昭和二七年八月四日以後は本件土地の所有権は被告国に移転する旨の通牒を原告地域内の各区役所土木課宛に発したことを挙げている。

しかし、右に挙げられた事実は、被告東京都が被告国の事務をも扱つている関係上、本件土地が被告国の所有となつたことを下部機関に表明し、原告の所有であることを否認しているだけである。このことだけから、原告の本件土地所有権を被告東京都が侵害するおそれがあるとすることはできない。

(結論)

八、以上のとおりであるから、原告の被告東京都に対する本件土地の所有権妨害予防の請求は理由がない。

第四、総括的な結論

以上の判示によつて明らかなとおり、被告国との間で、原告が別紙第一目録の土地を所有することの確認を求める請求は、正当として認容することにし、原告の被告らに対するその余の第一次の各請求は、失当としていずれも棄却することにする。

よつて、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用し、仮執行の宣言は必要がないと認めてつけないことにして、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第六部

裁判長裁判官 新 村 義 広

裁判官 猪瀬慎一郎

裁判官西沢潔は転任につき署名押印することができない。

裁判長裁判官 新 村 義 広

第一目録

東京都世田谷区北沢五丁目七七七番地地先所在の東京都玉川上水笹塚原樋(引水口)から渋谷区、目黒区、品川区を経て港区芝二本榎西町二番地地先に至る延長四、六七五間、巾二間三尺の三田用水水路敷およびその両側の土揚敷の土地一一、六八七坪五合(別紙図面中青線で表示した部分)

第二目録

玉川上水を第一目録の笹塚原樋から引水し、第三目録の施設物件によつて構成され第一目録の土地をとおる水路を流れ目黒川に注ぐまでの水積二七六坪(常時一寸正方の水積を一坪とする)をもつ三田用水の水利権

第三目録、三田用水路案内図(省略)

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